地球外生命体の日々

ただのバンドとアイドル好き

おじいちゃん


3月2日、祖父が永眠しました。


前日の昼過ぎ、「暇だなあ」と思いながら2人で家でぼーっとしていたら、母のところに母のお兄さんから「祖父の状態が危ないらしいから今すぐ病院に向かって欲しい」という電話が入り、2人で急いで京都の病院に向かいました。


母曰く、割と緊急的な感じで電話が入ったみたいなので「もう着いた頃には持たないのかな」という感じで行ったのですが、いざ行ってみると酸素マスクは付けていたものの、意識はまだハッキリしていて、私のこともきちんと認識していて目も見えていて耳も近くで話せば聞こえてはいたし、手も握れていた。最近は力も弱り切っていたので会った時にはハイタッチの挨拶をするのが定番化されていました。そして私が来るなり「わざわざ埼玉から来てくれてありがとうな」と一人一人に声をかけてくれていたし、後から来た母のお兄さんとその娘さんにも声かけはしていたみたいで(病室が狭いので家族別々に行ったのです)割と「あれはまだしぶとく持つな」となってその日は解散した。私も祖父に「バイバイ!」と手を振ると、祖父も多分微かに「バイバイ」と言いながら手を振っていたのだ。いつ何時どうなるかは分からないけど、それでも何だかんだ結構今までも持っていたので「あれはまだしぶとく生きるなぁ」みたいな他愛ない話を談話室でして夕方ごろ解散しました。そもそも祖父自身が延命治療を希望していなかったので殆ど延命治療といった治療はしておらず、むしろ延命治療をしていた頃よりもしぶとく生きていたのでそういう方が嫌いだったのかな?という感じではあった。


病院の看護婦さんにその時祖父の状況を聞いたのですが、まあおそらく以前から悪くしていた心臓が弱り切ってきたのと、典型的な老衰でしょうね、と言われて「まあそうでしょうね」という感じでした(笑)


でもまあいつ何時どうなるかは分からないのは本当かなあ、と思って、まだ意識がハッキリあるうちに会える人には会っといた方がいいと実際看護婦さんにも言われたので、私の兄も兄妹揃ってめちゃくちゃお世話になったので「念のため兄にも電話した方がいいんでない?」と母に言い、兄にも電話を母が入れたのですが、その日に限って兄は人生初くらいの勢いで携帯を家に忘れてしまったみたいで電話に出られず、でも我々も「今日明日の話ではないだろう」と思って電話では「お爺ちゃんがだいぶ弱ってきてるから次の土日休みにでも一回意識のあるうちに会いに行ってあげて」と言うつもりでいたのです。そして我々も「急ぎではないかな」と判断してしまい、折り返しがかかってきたら連絡しようor明日にでも連絡しようと思っていました。


そして朝方。4時半ごろだったと思います。
母の携帯に再び母のお兄さんから電話が入りました。

「祖父が危ないらしい。今すぐ病院に来て欲しい」と。

基本的に最初の電話の窓口は母のお兄さんになっているみたいなのですが、こんな時間に病院から緊急の電話が入ってくるということは…いよいよか…と思って、とりあえず兄にも母が出て行った直後に「今病院から電話があってお爺ちゃんが危ないみたいで、お母さんが今病院に向かったから…そういう気持ちでとりあえずいといて」という電話をしました。


そして母も急いで家を飛び出したのですが、私と父も「我々もちょっと行こうか」とそのあとすぐに病院に向かいました。


そしてその電車に乗ってる途中、父のところに母から電話が入りました。

内容は聞こえませんでしたが、父のリアクション的に「ああ、そうだよね」となりました。


病院に着いた頃には祖父が既に息を引き取っていた、と。


どうやら最初に病院に着いた母のお兄さんが病院に来た頃には既に息を引き取っていたそうです。我々が来て解散してから、1人でゆっくりと静かに朝方に逝ってしまったみたいです。


あの「バイバイ」は本当に最後の力を振り絞った「バイバイ」だったのかな、って今は思います。


聞いた瞬間は勿論悲しみもありましたが、何となくちょっとホッとした部分もありました。こうやって物々しい雰囲気の病院でしんどい、しんどいと嘆いてるよりかはもう楽になって天国に行って自由奔放になれたし家族にも会えるから良かったんじゃないか、と。



そして私と父は病院ではなく葬儀場に向かうことになり、祖母、母、母のお兄さん、そして息を引き取った祖父を乗せた車を待っていました。そして数分後に到着し、霊安室へ運ばれ、一旦ドライアイスで体を冷やす作業に取り掛かられ、葬儀の段取り等を決めました。


祖母は勿論泣いていましたが、とにかく私は「おじいちゃんも頑張ったし、おばあちゃんもよく頑張ったよ」と祖母の背中をさすりながら祖母を霊安室に連れて行きました。「私は何も頑張ってない。おじいちゃんはよく頑張った」と祖母は言うのですが「おばあちゃんも十分頑張ったよ。偉いよおばあちゃん」と私はとにかく声をかけていました。


少し遅れて兄が霊安室に到着しました。やはり前日の電話の件を報告すると本当に悔しがっていたし、「行けば良かったなあ」「なんでもっと電話してこーへんかったんさ」と言われました。「我々も病院に行った時は今すぐどうこうとは思わなかったから…」と言い、それでも兄は悔しがっていました(当然っちゃあ当然ですけど)。


私はやっぱり大学4年間祖父母の家にお世話になっていたことがかなり大きかったと思います。私が兄のような今までと同じようにたまにしか会えないような関係だったら私もきっとぼろ泣きしていたと思います。「何で言ってくれへんかったんさ!!!」とかなり泣きながら怒っていたと思います。


大学に入学したての頃は全然元気だった祖父も、やはり歳を重ねるごとに段々と体が弱ってきていて「もうしんどい」とか「えらい」とか「疲れる」とか言う回数が物凄く増えるし、祖父の最大の特徴である頑固指数がどんどん上昇していくし…もう「ザ・頑固」といえば祖父、みたいなイメージでした。大学時代はその頑固にかなり苦しめられましたが(笑) まあおじいちゃんってそんなもんだよね、って思って聞き流したりもしていました(笑)


まあ年寄りと一緒に4年も住むと何となく祖父母の人柄も分かってくるし、話題の中心がやっぱり「終活」が自然と多くなってくるんですよ(笑) 「ワシが死んだらああしてや」とか「もう死んでもええわ〜」「もし死んだらどうしてほしい?お墓欲しい?(笑)」とか色々ね(何で孫がこんな話するんだよって感じですけどまあ住むとそうなるんですよ笑)。そんな冗談を言い合ったりして祖父母と私で笑い合っていました。そうやってやいやいやいやい言いながらご飯を食べるのが我々のいいところなんじゃないかな、と今になったら思います。



おじいちゃんは電車が大好きでした。
その影響で母のお兄さん(つまりおじいちゃんの息子)も電車が大好きだそうで、私も電車はヲタクってほどではないですが好きです。


祖母が体が弱くあまり色んなところに動き回れないような体質なので、よく小さい頃に祖父に電車に乗せてってもらい、色んなところに連れて行ってくれました。とにかくおじいちゃんは電車が大好きでした。京阪電車阪急電車叡山電鉄などなど…。まだ京都に路面電車が走っていた頃もよくその路面電車に乗せてもらい、まだ幼かった兄妹の我々は電車の中で何故か「北風小僧の勘太郎」を大声で熱唱していたそうです(爆笑)(大迷惑)。その話は一緒に住んでた頃に腐る程されました(笑)あとは電車の本とかよく読んでた。暇さえあれば時刻表なり電車の本なりを読んでたし、誕生日プレゼントで電車の本をあげた時も喜んでいました。


そしてご飯もモリモリ食べてよく太っていました。「そろそろ痩せようぜ〜」くらいに思うくらいにはお腹が出ていたけれど、息を引き取った頃にはそんなお腹はどこに行ったというくらいお腹がぺちゃんこで、全身痩せ細っていました。でもそれを見ても私は驚きはしませんでした。大学4年間を過ごした後も行ける機会があれば祖父母の家に寄ったりはたまにですがしていたので、その度に痩せ細っていくおじいちゃんを見て「もう仕方ないよね、おじいちゃんだもんね」としか思いませんでした。


あんなに頑固一徹な性格だったおじいちゃんも、最期はやっぱり「私が知ってるいつもの優しいおじいちゃん」って感じがして、本当に本当にホッとしました。


おじいちゃん、病院でとにかく人気者だったらしいです。
体が弱り切っていても、とにかく色んな看護婦さんとかお医者さん一人一人に力を振り絞って「ありがとう」といつもいつも言っていたそうです。やっぱりおじいちゃんは何だかんだ優しい。私の知ってるおじいちゃん。


私は「全ての物事はなるようにしかならない」としか思わないタイプで、まあこれから身内にいつ何時どうなるか分からないけれども、それはもう仕方のないことだし何をしたって状況は変わらないのだから後はそれを受け入れるしかないだけ、というタイプなのです。とにかく焦る祖母には私からも「仕方ないよ、もうなるようにしかならないよ。おじいちゃんだもん」とひたすら言い続けていました。とにかく私に出来ることはいつもいつも心配性で焦っている祖母を落ち着かせることくらいでした。悲しんだって寂しくなったってそれで状況が良くなるならいくらでも悲しむしいくらでも寂しくなる。けどもうそんなことを思ったってどうなるわけでもない。と、私は今までずっと祖父母に対しては思って過ごしていました。別にそれは冷たい対応とかそういうわけでは決してなくて、「どうせ死ぬなら潔い死に方しようぜ!!」みたいな、なんかなんて言ったらいいか分からないけどとりあえずそんな感じ(どんな家族だよ笑)。


なんかその4年間が無かったら多分今私は「おじいちゃん、よく頑張ったね」という思いより悲しみが増しまくって一日中泣いてたと思います。「なんで、なんで私はもっともっと会わなかったんだろう」って。今私は結構「おじいちゃん、本当によく頑張りました。お疲れ様でした」という感情が結構大きい。勿論悲しいし寂しいけど、おじいちゃんに対してはそんな感情の方が大きくて、むしろ笑顔になりました。


霊安室で一通り段取りをある程度決めた後、親族で会話をしていた時もおじいちゃんの顔を顔に覆いかぶせていた布を取って5.6回は見ました(笑) 「おじいちゃん!アホな会話ばっかしてゴメン!今頃"ホンマ頼むで…"って呆れてそうやわ!ごめん!」みたいなことを顔を見ながら言ってました(笑)


もうね、「これでいいんだよ、おじいちゃん。よく頑張ったんだから。あとは家族と楽しくゆーっくりと過ごしてください」って何度もお焼香しました。おじいちゃんは4人兄弟の次男らしいのですが、おじいちゃん以外は皆亡くなってしまっていて、おじいちゃんが最後の兄弟だったそうです。


祖母はもう60年以上おそらく一緒に寄り添っていたパートナーを失い、悲しみに暮れていると思うので最期くらいは祖母の好きにさせてあげようと思います。それはそれは大きな大きな愛情だな、ってのはもう見ててよく分かります。


以前「おじいちゃんとずっと一緒にいられるのって凄いね」って話をした時に(別に悪い意味で言ったわけではないです)「頑固すぎるくらい頑固やけどやっぱりおじいちゃんがおらんと落ち着かへんからなあ」と言っていて何だかんだ素敵な夫婦だなあ、と思いました。



一旦私だけ自宅に帰ったのですが、その際に既に天国にいる父方の祖父に「本日母方の祖父がそちらに行きましたので、親の祖父同士どうぞ仲良くしてあげて下さい」とお願いしておきました(ウチに父方の祖父の仏壇があるのです)。何となく父方の祖父の遺影を見てると拝みたくなるんですよね。何故か分からないんですけど。


まあホントに色々あった1日でしたが、沢山いいこともありました。


もう最近全然揃わなかったウチの家族が本当に久しぶりに全員揃って家族だけでご飯を食べて、話が弾んだことがめちゃくちゃ嬉しかったです。私の埼玉の愚痴(笑)や、兄の子供の話、親の近況など…。こんなこともないと揃う機会なんて無いからそれは本当に貴重な機会だったなあと思いました。


あとはやっぱり亡くなる前日に会えたのは良かったかな、と…。こうやって休暇を頂けたからこそ会えたのであって、それも貴重な機会だったと思います。最後に会った時にはおじいちゃんの手をずっとにぎにぎしていました(笑)


そして今日の夜には父親と色んな想いを話し合いました。「人間なんて地球が生きてるほんのちょっとしか生きられない生き物だから時々生きてることが馬鹿になる時もあるけど、やっぱり一度きりの人生だから好きなように生きていくのが1番いい」と。「お父さんもずーっと定年までサラリーマン勤めで何度も辞めたい辞めたいと思って耐えて耐えて働いて定年で辞めたけど、やっぱりそれも家族がいたからこそ働けたし良かったと思う」と言われた時はこの世で1番尊敬できる人物は他の誰でもない父親だな、と思いました。今まで家族に弱音の一言も吐かずにずーっとずーっと定年まで働いて、今は別会社でちょっとヤバめな会社で嘱託社員として働いていますが、「ほんま、人生一度きりやから好きなように生きた方がいい。別に好きなように生きていけるんやったら全然会社に縛られる必要もないしな」と何度も言われて本当に泣きそうになりました。こんなこともこうやって休まないと分からなかったことだし貴重な時間だったな、と思いました。


おじいちゃんが息を引き取って、本当に何というか色んなタイミングに出会えたというか、ある意味素敵な時間を提供してくれてなんだか感謝の気持ちしか湧かないです。


私が大学を卒業して、埼玉に行くために祖父母の家を出る時に4年間で唯一撮った祖父母と私の3人の写真を今でもたまに見ます。それを見ると本当に色んなことを思い出します。


お通夜と葬儀はこれからなのでまあその時には多分(というか絶対)泣くとは思いますが(笑)でも感謝の気持ちを込めておじいちゃんを見送ろうと思います。




おじいちゃんへ。

小さな頃から私たち兄妹に優しくしてくれてありがとうございました。

おじいちゃんのおかげで電車が好きになりました。電車に興味を持ちました。


そして何より大学4年間、こんな迷惑な居候人間を匿ってくれてありがとうございました。


おじいちゃんに親孝行なんて何一つ出来てないと思うけど、今も昔もおじいちゃんのことは大好きです。一緒に住んでからは頑固一徹なおじいちゃんに悩まされましたが、まあそれもおじいちゃんです(笑)


天国に行った時には家族に沢山会って今までの思い出などをそれはそれは頑固な感じでいつもの威厳で話してください(笑) そして今まで会えなかった分、沢山沢山会ってください。


本当に、お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。


おじいちゃんの孫で本当に良かったです。
大好きです。


孫より





おじいちゃん、ありがとうね!!!!!