地球外生命体の日々

ただのバンドとアイドル好き

「自分」と「音楽」の関わり方


どうも。

今日はお休みだったので埼玉の戸田公園の荒川河川敷に桜を見に行きました。今が満開に近い状態みたいな情報を得たので、早速見に行ってきました。

綺麗でした。久しぶりに桜を見て綺麗だなーと思いました。


去年も4月初めに大宮公園に桜は見に行ったのですが、なんせ春休みだか何だかでとにかく人が多いこと多いこと。でもここの戸田公園周辺は平日だったこともあってか人はまばらで静かに散歩出来ました。嬉しい。


暖かい晴天の中桜が綺麗な河川敷を好きな音楽を聴きながら歩くって最高すぎた…



んだけど。




なんか色々考えた。せっかくだから自分を見つめ直そう的な。桜を見ながら河川敷に腰掛けて本を読みながらぼーっと考えた。


【以下文章死ぬほど暗いです】




またKinKi Kidsを聴きたくなくなった。聴けなくなった。
でも、ENDLICHELI☆ENDLICHELI、244ENDLI-xとか、そういう類のソロは聴けた。


でも何となく今日は求めてなくて、バンドサウンドを聴いた。桜並木の中のBUMP OF CHICKENが非常に沁みた。

花の名

花の名




何でこんな現象が頻繁に起こるのか?
今までジャニーズ好きになって、関ジャニ∞を好きになった時は全くこんなことにならなかったのに。むしろ「どんどん聴きたい」という感情の方が優ってたのに。KinKi Kidsにハマったのに。ハマったのに「聴けなくなる」ってどういうことなんだろう。



多分、1番の理由は「個人の心情的な部分にまで感情移入しちゃうから」な気がしてきたんですよね。



少し話は逸れます。


元々私は人付き合いが得意な方ではありません。むしろ下手です。上手く会話出来ないし、相手を楽しませる能力もない。何もできない無能な人間です。特別何か出来る人間でもないし、皆が「必要としたい」と思えるような人間でもありません。「必要とされたい」なんて今更全く思わないけど。まあそんな感じで人付き合いを諦めている努力不足のダメ人間です。


ここ最近のブログでもちょくちょく書いてますが、とにかく自分に自信が無いせいで色んな友達にも冷たく接しているような気がして、自己嫌悪に陥り、結果自分から関係を絶つ…という繰り返しになっているような気がして、毎日苦しいです。でもそれもこれも全部自分のせいだし無責任なこと言うな、と罵声を浴びせられても仕方のないことなんですが。


そこを「なんとか変わりたい」と思う自分と「でも変われない」と自分で止めてしまう自分でいつまでも戦ってしまっています。決着をつけないと何も解決しないのに。




先日、突然高校の時のクラスLINEグループに誘われました。一応参加しました。そしてグループが出来上がりました。

何だかすごく嫌でした。

別に高校時代の人たちが嫌いとかそういうわけではなくて、「過去に付き合いがあった人たちに今の自分は何も誇れることが話せないのが恥ずかしい」と思ってしまいました。おそらくグループLINEが出来たということは近々同窓会か何か開く予定なのでしょう。今のところ何も動きはないけれど、もし開催されるのであれば何となく行きたくない。面倒くさいとかそういうわけではないけれど、今の自分を話すのが恥ずかしくて嫌だ。


正直高校時代も私は友達が沢山いたわけではありません。学年が上がりクラス替えがあった初日なんていっつも席の端っこで静かにしていたような、とにかく陰キャラでした。その当時はガラケーが主流だったので恒例の「メルアド交換大会」にも全く参加していません。したいとは思ってたけど、いかんせん私が自他共に認めるクソデブブス女だったせいで誰にも話しかけられませんでした。まあそんな根暗だったんですけど、良く分からないけど卒業する頃にはいつもクラスの子みんなと仲良く話せるくらいにはなっていました。何故か。そんな微妙な経緯があります。


そんな皆が再び集合してLINEのアイコンとかを見ていると皆現実で幸せを手に入れている。結婚、出産、その他諸々…。それなのに私は自分の好きなことだけに没頭して、何も現実を受け入れようとしていない。その状況が恥ずかしくなった。虚しくなった。話せることなんて何もない。だから行く必要もない。出来ることなら行きたくない。


話を戻します。


結論的に、


私はKinKi Kids堂本剛という人物が1番憧れの存在であり、1番"嫌い"な存在なのかもしれない。


だからKinKi Kidsは聴けないのかもしれない。でもソロは聴ける。何故か。何故"嫌い"なのか。


そこに個人の心情への感情移入は発生しないから。

そして、彼の生き方・考え方はあまりにも私の理想すぎて苦しくなるから。


どうしても「アイドル 堂本剛」という目線で見てしまうと、「アイドル」である為に彼個人の過去のストーリーだったり心境だったりまで考えてしまう。過去の苦しみだったり辛さだったりが他の人の何倍もあると思う(実際色んな病気を患ったことからも伺える)。それが対象が誰であれ私にとっては死ぬほど重荷なのだ。曲を聴くたびに胸が苦しくなる。彼こそまさに桜のように儚く、切ないようなそんな存在な気がする。これは関ジャニ∞には無い、果てしない重さだった(決してエイトに重荷が無いとかそういう話ではありません、彼らは彼らなりに苦労はしてるんですけど)。私の「担当」は渋谷すばるですが、多分エイトを見ている間は自分の中で勝手に「彼個人の心情」よりも「楽曲・エンターテインメント性」に変換されてるからライトな気持ちで見られるんだと思う。だから「担当」って胸張って言えるんだと思う。でも彼は「担当」なんてとてもじゃないけど言えない。「担当」とかいう括りにしたくない。不思議だけど。


彼を見ていると「他人からの共感なんて全く必要としていないけれど、苦労も勿論沢山あるけど自分の生きたいように生きていたら、やりたいようにやっていたらそれにたまたま人が寄ってきているだけ」という、そういう感じがハッキリと滲み出ているような気がして、私はそれが凄く理想的で羨ましくなると同時に自分には出来ないから妬みも半分入ってくる。正直。そこが自分の中で1番辛いんだと思う。重視する部分がそういう人間的な「心情」がメインになってくるから。


でもそれが「アーティスト 堂本剛」という肩書きに変わった瞬間、不思議なことに私の中で彼の心情的なところへの感情移入は消える。何故ならアーティストに変わると私の中で重要視されるのは「楽曲」になるから。だからバンドサウンドも気楽に聴ける。そこに個人への感情移入は発生しないから。



だから私は必要以上に他人に干渉するのが嫌なのかもしれない。無意識のうちに拒否反応を起こしているのかもしれない。つまりこれって「必要以上に他人と関わりたくない、もしくは関われない」と思ってしまっているのと同義なのではないだろうか…。その対象がたとえ手の届くことのないアイドルだったとしても。それじゃあ誰も人は寄ってこないぞ、自分…。




で、こんだけ話しておいて何なんだが今回私は別に堂本剛について話したいわけでも無い。KinKi Kidsを聴けなくなる理由を知りたかったわけでもない。


冒頭で話した、


「そこから分かる自分自身」をただ知りたかっただけなのだ。


良くも悪くもKinKi Kidsと出会ったことで自分自身がどんな風に考え、生きていきたいのかってことが何となく見えてきた気がする。



本当はもっと自由に生きたい。やりたいようにやってみたい。全てを放棄してまでやれるもんならやってみたい。でも放棄するにも制約は必ずある。その制約は破ることは許されない。それは人間全員が思っていることなのではないだろうか。そんなこと出来てたら苦労しねえよ、ってな。


悩みなんて漠然としているから悩むのであって、初めから具体性があればこんなに悩まないってことも分かってる。


だから私は悩み相談をするのが苦手なのだ。「どうせ人に話したところで返ってくる回答なんて決まっている」と思うから。


「で、どうしたいの?」
「具体的に何がしたいの?」


大体そんな回答が返ってくる。当たり前だ。何事も「具体性」を求められる世の中なのだから。でも分かって欲しい。具体性が初めからあればそもそもこんなに悩まないということを。別に私はそんな「具体性」を追求されるような言葉が欲しいわけじゃない。だからと言って励ましの言葉が欲しいわけでもない。曖昧だっていい。あなたの意見が聞きたい。ただそれだけ。



どこを見ても自己啓発の言葉が羅列され、「もっと頑張りましょう」「自分自身で変わらないと何も変わらないですよ」そんな言葉のオンパレード。仰ることは死ぬほど分かります。確かにそれは大事です。でも無理矢理前向きになる必要なんてあるのでしょうか。無理矢理明るく振る舞う必要なんてあるのでしょうか。女だからって異常なまでに愛想良く振りまく必要あるのでしょうか。私はそうじゃないと思っています。世の中そういう人の方が人生楽しそうではあります。見ていても思います。でも私はそこに全く憧れの気持ちは湧きません。



前に私は「お前から音楽取ると何も無いよな」と言われたこともあります。それが非常にショックでした。ある意味全否定ですよねこの言葉って。「音楽にしかハマれない何も出来ない奴」のレッテルを貼られたように思えます。いやまあ確かにそうなんですけど…。でも何も出来ないからって何か出来なくちゃダメなのかなぁ…?そりゃまあ何か出来るに越したことはないんですけど。





これからもKinKi Kidsを好きでいていいのか分からなくなってきた。好きになったからには応援はしたい。でも必要以上に心情面に感情移入しちゃうから自分自身がしんどくなる。そりゃあ感情移入をやめられるもんならやめたいが、そもそもやめられたらこんなつらつらと悩んでるブログ書かないしやめられないから悩んでるわけで、まして彼らの振る舞いや経緯を見れば見るほど、楽曲を聴けば聴くほどしんどくなる。こんな好きになり方ある!?!?と自分自身でもかなり驚いてますけど(笑) 聞いたことねえよこんな好きになり方。同担拒否とかそんな感情も一切ない、訳の分からない感情が渦巻いてます。


何もかも面倒だからやーめたっ!!!!
と思ってやめられるもんなら秒で辞めてるからね。(笑)




でも良い意味で自分自身の生き方を見つめ直す機会をくれた気がします。「そういう生き方もあるんだな」「そういう生き方もアリなんだな」っていう。新しい発見というか、特殊な職業だからとかそういう訳じゃなくて…上手く言えないけど…なんというか羨ましいよ。やっぱり。結局はそこなんだよ。(笑) 誤解しないで欲しいけど私は1ミリもアイドルになんかなりたくありません。というかなれないしそもそも。クソブスなのに。だからと言ってバンドマンにもなりたいわけでもない。彼らは多分「生きたいように生きようとしたらたまたま選択肢がその職業だった」ってだけなんだと思う。きっと。それが羨ましい。そしてその生き方を見ているのが死ぬほど辛い。



なんかなに書いてるかよく分からなくなってきたけどこんなことをボーッとしながら考えてた。何も解決されてないけど。(笑)自分自身の考えのプチ棚卸し的なことをした気がする。


まあ要するに私は死ぬほどクズってことですよ!!!!!なんでさ!!!もっと本当は「あ〜〜〜自担可愛いつらい〜〜好き〜〜!!!」とかいうことだけしか考えなくていい物事を単純に捉えられないのかね私は!!!!!それくらいの方が多分人生上手くいくはずなのに!!!!!面倒くさいわ私!!!!!なんか多分今が人生で一番どうにでもなれる時期だから余計に悩むんだろうなこれ!!!!!



春は出会いと別れの季節ですね。切ない。儚い。桜のようなそんな彼と出会って、なんか色々おかしくなりました。(笑)



話題が死ぬほど暗くなったので、桜並木を歩いてて聴いてていいなと思った楽曲をいくつか紹介します。

firefly

firefly

最近この曲にハマってます。fireflyめちゃくちゃいい曲…というかBUMP自体が素晴らしい…いやそんなこと1000年前から分かってたよね…そうだよね…(誰)


舞い上がれ<Band Version>

舞い上がれ

春にピッタリの曲。聴いててちょっと切なくなり、一歩進もうかな、ともなれる曲。前にライブで聴いて泣いた。

奇跡

奇跡

この曲が凄く好きなんだが誰か分かって欲しい。やっぱり言葉で「泥臭くてもいいから生きろ」とハッキリ表現してくれるのはバックホーンなんだよなあ。好き。ちょっと桜並木で聴くには不向きかもしれないけど(笑)


くるみ

くるみ

出会いと別れの季節といえばこの曲。でも私が紹介したいのはこっちの元の方のくるみではない。Mr.ChildrenのB面集アルバム「B-SIDE」に入っている方の「くるみ」なんだよ…!!!

B-SIDE

B-SIDE

残念ながら楽曲情報はありませんが、元のシングルの方も素敵なのですが、私はこっちのちょっぴり切ないメロディーの方が好きです。





後は楽曲情報が無いのでリストで。春の晴れた日の桜並木を歩く時に、ちょっぴり切なくなりたい時にピッタリだと思います。


ホント気持ち悪いヲタクですみませんね…。
そんなこと分かってるからブログにしか綴れないんですよ….。




やっぱり私には音楽しかないのかもしれない。虚しいけど、楽しい。