地球外生命体の日々

ただのバンドとアイドル好き

「承認欲求」という概念


人間誰しもどこかしらの場面で「こんな私を見て」「こんな私を認めて」と思う時はある。所謂「承認欲求」だ。自分の中で納得出来た作品が出来てそれを披露する時や、ある成長を遂げてその結果を示した時などに特にその欲求が出てくる気がする。それを披露して誰かから何かしらのレスポンスが返ってきた時、いい意味でも悪い意味でもそれが自分の糧になり次に繋げようと思う。



でも時にこの「承認欲求」という存在はかなり面倒な欲求だなあとも思う。


最初は軽い気持ちで「色んな人に見て欲しい」と思いある作品を披露したが、それが思った以上に反応があり、それがきっかけとなって「もっと見てほしい」「もっと沢山の人に知ってほしい」そんな欲求が先走っていつしか「その作品の良さ」を知ってもらうことよりも「沢山の人に見てもらうこと」が中心になってしまう時がある。そうなるとその作品も途端に面白くなくなり、つまらなくなる。


2017年の流行語大賞に「インスタ映え」という言葉が選ばれていたが、正直その言葉はめちゃくちゃ嫌いだ。結局人間はネットに踊らされる存在なのだな、と思ってしまった。


自分がいいなと思って撮った写真を他人に見せても「これはインスタ映えを狙ってそうな写真だからつまんない」という一言で片付けられて悲しくなった。何がインスタ映えだ。私は別にインスタ映えを狙って撮ったわけではない。インスタ映えしそうな写真ではあったが、それが目的で撮ったわけではない。それくらい世の中の写真の基準が「インスタ映えするかしないか」に置かれていて悲しくなった。


私も以前インスタグラムはやっていた。自分の好きなアーティストもインスタをやっていたし、友人もインスタをやっていたので軽い気持ちでやってみようと思ったが、そこに広がるのは「自分はキラキラしてますよアピール大会」だったので見ていて疲れるだけだったので見るのを辞めてしまった。そんなにキラキラしてることをアピールしたいのか。インスタグラムこそ承認欲求の塊だと思う。そんな世界疲れる。


そしてツイッターも見るのをやめてしまった。情報が色々と入ってきやすいツールだったしある作品が発表された時の周りの反応みたいなものもすぐに得られたので便利なSNSではあると思っていたが、そこにも極度の「承認欲求」が発生していた。自分の何気ないツイートが突然大量のいいねもしくはリツイートされる現象を「バズる」というのだが、常に「バズっている」人を見ると「沢山の人に注目されている自分カッコイイ」なんて心のどこかで思ってるのかな、なんて思ってしまうし(有名人でもあるまいし)、「いいね」が欲しいばかりに「いいねください!」なんて無駄にアピールする人もいる。結局「いいね」を沢山欲しい私を見て見て人間が溢れかえった世界で、そこにも私は疲れてしまったので見るのをやめた。


そして今回、文字数制限がなく自分の思い・考え・思い出を際限なく綴れるブログに惹かれて始めているのだが、やはりSNSの世界はどこにいても「承認欲求」を満たすことがメインになっている世界なのかな、なんて思う。そこがちょっと残念だな、と思った。嫌な時代だ。



私は承認欲求なんていうつまらない欲求なんて関係なく自分の考え・思いを自然とつらつら書いている人の方が「日々のアクセス数は…」とか「今日はこんだけスターを貰えたから今後スターを沢山貰い続けるには」なんてことを考える人よりもずっと魅力的な記事だと思っている。


ブログなんて書く内容なんか各々の自由なのだから「いかに多くスターが貰えるような記事を書くか」なんて考えなくていいと思う。中にはブログを書くことを仕事にしている人もいてそういう人は考えた方がいいかもしれないが、普通の一般人の書くブログなんかそんなもんでいいと思う。「敢えてスターを沢山つけたくなるように書いた記事」に何の魅力があるのか。「今日の記事はつまらなかったからスターが少なかった。だから明日はもっといい記事にしないと」なんてなぜ考える?そんなもんバカバカしい。自分の考えや思いがフッと出てきた時にその言葉を自然と書けばいいだけだと思う。作家でもあるまいし「今日はいい記事が書けないどうしよう」なんて考える必要も無いと思う。いい記事が書けなかったらどうなるの?死ぬの?


フッと出てきた作品を何気なく出して、それに対して何かしらのレスポンスが返ってきたら嬉しいな、程度でいいはずの世界で何故「もっといい記事にしなきゃ」「もっと沢山の人に見てほしい」なんて無理やり考えなければならないのか。さっきも言ったけどそういうふうに考えながら作ったものなんて何の魅力もない。仕事なら別だが。


娯楽の世界が「承認欲求」というつまらない欲求に侵されている。人々がその「承認欲求」にすがりついている。その恐ろしい現象に何も感じないのか。もっと「日々の生活で何気なく考える」という事を大事にしようと思わないのだろうか。


SNSも悲しい世界になってしまったものだ。