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「当たり前」とは

 

「当たり前」とは何だろうか。

 

いつもそこにいる、そこにあるせいで、そこにいる、そこにある幸せ、有り難みを忘れてはいないだろうか。

 

いつも近くに存在したら、特別な感情はどうしても湧きにくくなるものだ。「いつでもそこにいる」その安心感、満足感があるからだ。

 

例えば、音楽DVDを買うとする。買うまでは「早く欲しい」「早く観たい」そんな感情ばかりが湧いてワクワクするが、いざ買ってしまうと「いつでも観られる」そんな安心感に襲われてしまう。そしてしばらく観るのを放置してしまう。本当は「もし明日にでも震災や火事などが発生してDVDはおろか家丸ごと潰れてしまったらどうする?」というところまで考えなければならないのだろう。でもそんなことは普段の生活では考えない。全ては「なくなってしまってから」事の重大さに気付くものだ。「ああ、あの時もっと重宝していればよかった」「もっと見ておけばよかった」そんな後悔が湧くのだ。

 

それが「当たり前」という概念なのだろう。

「あって当たり前」「いて当たり前」人間なんて所詮そんなもんだ。

 

 

 

同期が3/1付で異動になった。

私の店舗からは同期がとうとういなくなった。

私の中の「いて当たり前」が、消えた。

 

 

新入社員で今の店舗に配属されたのは、全部で8人。男5人、女3人。うち4人は既に辞めて、1人は別店舗に異動になっていた。残ったのは私含め3人だった。男2人と、私。3人になってから、ディズニーにも行った。

 

その男2人が別店舗に異動になった。それが悲しくて寂しくて、私には耐えられない事実だった。職業柄、全国転勤はつきものなのだが、まさか同期が一気に2人も同時期に飛ばされるとは思ってもいなかった。しかも同じ店舗に。

 

男2人のうちの1人と、引越し前にご飯に行った。「なんか最近病んでるらしいやん、どうしたん?」と聞かれたが、私は「お前らがいなくなるから寂しすぎて病んでるんだ馬鹿」とは決して言わず、「洗濯物が飛んでってしまったのとイヤホンを無くしたことに病んでる」とだけ言った。嘘だと分かっていたのか「本当にそれだけなの?」と言われたけど、私は「…うん、それだけ」と答えた。「そっか…ならいいけど」と言われて終わった。「でも、俺たちがいなくなって寂しいんだろー?(笑)」と馬鹿にされたような口調で言われたので、ますます「寂しいわ」と言いづらくなった。そこで意地を張った私。「仕方ないじゃん、仕事だし」そう答えた。可愛くないな、私。

 

帰り際、私は彼にUSBを渡した。引越してしまうから彼にしばらく会えないのは分かっていたけど。

ワンオクが好きだったので、「これにワンオクの音源を入れて渡して欲しい」と伝えた。「いいけど、俺んち来たら渡せるよ」と言われたので「必ず行くからそれまでに入れといて」と告げた。そして別れた。会えないのは分かっていたのに、渡した。

 

 

引越しと言っても、彼らは神奈川に転勤になったので、会えない距離ではないが、すぐに行ける距離でもない。電車で2時間。「2時間我慢すれば会える」と考えるか、「2時間電車に乗らないと会えない」と考えるか。

 

 

彼が引越した次の日、私は結局彼の家に行った。寂しくなって行った。もう1人の同期もいて、その両親も引越しの手伝いに来てくれていたので、晩御飯をご両親の方と私たちの5人で食べた。普通に楽しかった。「また遊びにおいで」そう言われた。

 

 

彼の家に行って例のUSBを発見したので「入れた?」と聞いた。案の定「入れてない」と言われた。「今日はまだ引越しでバタバタしてたから入れられなかったけど、また次来た時に入れとくよ、だからまたウチに来てくれ」そう言われた。お前が来いよ、とも思ったけど、「分かった、また来るわ」と言って別れた。私は決して「送ってくれればいいのに」とは言わなかった。言いたくなかった。向こうも「何ならそっちの家に送るよ」とも言わなかった。ただ「ウチにまた来たらいいじゃん」とだけ言った。

 

 

 

昨日、仕事中に彼から電話がかかってきた。本来は仕事の用事で電話が来たのだが、いつの間にか他愛もない話で盛り上がっていた。気付けば30分くらい、店が閉店してから話してしまっていた。初めは仕事とか関係ないくらい電話が嬉しくて話していたが、段々話していて悲しくなった。彼はもう新しい生活を始めている。ここにいた思い出はどんどん消えて、新しい思い出が作られていっているのだ。そしてこれからも思い出が作られていくのだ。「楽しいよ、こっちの生活は。同期もいるし、というか同期しかいないし、今日同期の子とめっちゃ喋ったし、店の人もいい人だし、やっていけそうだわ。そういえば○○さん(パートさん)いる?いたら話したいんだけど」そんなことを電話越しに言われた。彼の中ではもう新しい生活が始まっているのだ。私がそこに介入する隙もない。古い思い出はどんどん色褪せていくのと同じで、ここの店舗にいた思い出もどんどん消えていくのだ。そして彼が話したい相手は私ではない。ここの店でお世話になった人なのだ。人間の記憶なんて所詮そんなもんだ。彼らは同じ新しい店舗に異動になった同期と沢山飲みに行ったり遊びに行ったりするのだろう。私にはもうそんなことをする同期はいない。仕事帰りに仕事の愚痴を言える人もいない。私が異動になった時に、誰が送別会を主催してくれるのだろう。誰もいない。彼らの送別会は当然同期の私が主催した。でももう仲の良い先輩や同期がいなくなった今、私が異動したところで誰も悲しむ人はいない。そんなことを考えていたら、とてつもない虚しさに襲われた。私だけが取り残された結果となった。新しい生活に今のところ満足している彼らに比べ、毎日虚無感に襲われ、悲しみしか感じない日々を送る私。自分が哀れなのだ、ということが決して言いたいわけではない。哀れ自慢をしたいわけでもない。いつかはこうなるとは分かっていたけど、いざなってみると「当たり前」の大切さに気付かされる。彼らのことを忘れようか、忘れないか、とても迷っている。同期としては忘れたくないが、思い出すと辛くなってしまう。私も「新しい生活」を送りたい。

 

 

そこに追加ダメージを食らわせられたかのようにやってきた部門異動。彼らの転勤に伴い、私は売場に部門異動になった。今まで店舗の中で所謂「特殊」な部門しか経験していなかった私が、ようやく皆がやっているようなスタンダードな部門に配属されたという感じだ。みんなの「当たり前じゃなかった」ことを先に経験して、「当たり前」のことを後から経験する。当然、周りにとったら「当たり前」だから私が分からなくて質問すると「何でそんなんも分からないの」という姿勢で返答してくる。それがまた私には辛いことである。以前、店長との面談でも「私はまだ皆と同じような経験を全くしたことがありません。もうすぐ3年目に入るのにこのままの状態だと新入社員並みの知識で尚且つ別店舗に異動になった時に非常に不安です」そんな悩みは言っていた。それをある程度考慮してくれたのかは分からないが、そのようやく「当たり前」を経験できるという意味では非常に安心なのだが、「それくらい分かっとけよ」という周りの視線もあるのでプレッシャーである。とにかく辛くて仕方がない。

 

 

私と彼を繋いでいるUSBをどうしようか。「寂しくなったら電話してきてもいいし、家来てくれてもいいよ、話なら聞いてあげるから」そう言われた。でも、新しい生活を始める彼の邪魔をしても仕方がない。今までは同じ店舗だったので同じ悩みも言えていたが、そのうちそんな愚痴も吐けなくなるし、向こうも向こうでこっちの店の話を聞きたいとも思わなくなるだろう。また家行く、とは言ったが、行くかどうかも迷っている。このまま存在を消すか。忘れるか。でも同期だから忘れたくはないか。向こうの「当たり前」に介入すべきなのか。そんなことを考えていたら、夜も眠れなくなって来た。

 

 

今もまたこうやって誰にも悩みを吐けないので、ここに綴っている。誰に聞いて欲しいわけでもない。私が綴りたいから綴っているだけ。

 

 

1人は、つらい。

「当たり前」も、つらい。