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自分の中の「常識」を「常識」と捉えてはいけない

 

職場の女性社員3人でプチ女子会をしてきた。

仕事の愚痴を言い合える機会が久々に出来て、個人的に凄く嬉しかった。

 

たまには仕事の話でもしよう。

(ほぼ愚痴なので悪しからず)

 

社会に出て仕事を始めると、必ず職場に1人は「自分の中では考えられない人」という存在が現れる。私自身今まで3つの部門を経験し、幸いなことにその部門内の人が皆しっかりしていたおかげで仕事がとてもやりやすかった。勿論、先輩社員に怒られることもあったが、それは自分の悪いところと受け止めて反省していかなければならない。そうやって人は自分の悪いところを見つめ直し、成長していくことが生きていく上で重要なことなんだと思う。今の部門まである意味特殊な部門に配属されていた私は、3度目にしてようやく「スタンダード」な立ち位置で仕事が出来るようになった。知識や経験は新入社員並みに無いので、とにかく「何でそんなことも知らないの」と言われる覚悟で「聞く」に尽きる。自分が理解するまで「聞く」。そうしないと自分の為にもならないし、自分の後輩が出来た時に教えることが出来ない(私のいる所は私たち以降新入社員が配属されていないのである)。だって「分からない」んだもの。要領が分からない人間はとにかく経験のある先輩にアドバイスを貰うに尽きる。聞いたらきちんと先輩も答えてくれる。そうやって自分の中での経験値を上げていくしかない。ただ、今回ついにかなり厄介な存在が現れた。

 

 

ある先輩社員(男)がいる(以後Aと呼ぶ)。私は某小売業で働いているが、従業員の主体はパートさんなのである。Aは今までに無いくらいその部門のパートさんから反感を買っている。ほぼ全員が不満を抱え、上司に訴えているというのに、その上司は自分の仕事をしてくれるからか、Aを庇う形をとっている。そんな不思議な環境が今の職場にはあるのだ。接客業なのでお客様からの問い合わせが勿論あり、分からない人間が当然分かる人間を呼ぶわけだが、Aは殆どお客様の場所へ行かない。加工や切り売りの依頼もほぼ行かない。特に接客で対応しているわけでもないのに「対応中」と答えて誰かに対応を任せる。そんな姿を頻繁に見せるので、当然パートさんたちも不満が募るのだ。なのにそれを訴えても「別の仕事をしてくれているから許してやってほしい」の上司の一言。…上司は一体Aの何を買っているのか。一応言っておく。Aは社員である。

 

 

仕事中に急にAに別店舗見学の予定が入ったので、"普通なら"同じ部門の人に「別店舗見学に行ってくるので申し訳ないんですが売場宜しくお願いしますね」の一言を伝えるはずだ。なのにその一言も何も無く、ただAは1人の早番のパートさんにだけそのことを曖昧な感じで伝えて、しかも「残業出来るだけして下さい」とだけ言い放ってAは出掛けたそうだ。そして何より悪いのは、遅番のパートさんにその事を直接伝えて無かったせいで(その人は早番のパートさんにその旨を伝えられたそう)、広い売場を夜1人で見ることになってしまい、何故かその遅番のパートさんが近隣部門の人たちに「すみませんが僕1人になるのでフォローお願いします…」と頼み込んでいたのだ。結局近隣部門の従業員は売場フォローの為に残業し、Aは閉店間際に戻ってきたものの誰にも何も伝えずそのまま帰ったそうだ。そのことに皆ブチ切れた。「あの人の神経は一体どうなっているのか」と。売場フォローも頼むのは本来は社員の仕事。というか、自分が店からいなくなるのだから頼み込むのは"当たり前"だろうと思っていたが、その「常識」さえ覆すような人間が社員でいることにただただ驚きである。パートさんも主婦の方々が多いし家庭の予定だって当然ある中、わざわざ時間を割いてしたくもない残業だってしてくれているのにAはいつになっても「ありがとうございました」の一言も何もなしに日々を過ごしているのだ。そんなAが残業しているかと言うと、殆どしていない。むしろ"早く帰る"ことが多い。体調が悪いから早く帰るだの、早出してきたけどお客さんいないから早めに帰ると言って謎のフレックスタイムを取って早く帰って遅番のパートをキレさせるという。でもそれは「Aだから許されている」のだ。…どうなってるんだ?一体。なんなんだこの理不尽すぎる世界は。

 

 

社会人たるもの、「納期を守る」ということは社会人として"当たり前"の行動にしなければならないはずだ。納期を守らない人間は社会人として認められる資格はないだろう。社員の仕事の一つとして、自部門のシフトを作成する仕事がある。先日上司から「4月のシフトを3月21日までに作成するように。またセールが始まるのでそのセール中の各部門従業員の事前残業申請も3/21までにするように」とメールで来ていた。私は"当然"自部門内のシフトはその日までに、少し近隣部門との兼ね合いがある関係で作成し、残業申請も部門内の従業員に話して了承の上、上司に提出した。なのにAは昨日22日になってもシフトを作成していなかった。シフトを作っていなかったのはAの部門だけで、当然パートさんからも「早くシフトを出して欲しい」と不満の声があがる。昨日になっても作成されなかったので私はAに「シフト作らないんですか?」と問いただしたところ、「あなた、まず◯◯さん(別の部門の社員)と休みカブりすぎ」とまず一言目に何故か怒られた。何故納期を守っていない人から、シフトすら作っていない人間から怒られなければならないのか。しかも「カブりすぎ」と言われたのでシフトを見てみると、その人と私とは休みが月に2日しか被っていない。…どうやら月に2日被ったらAの中では「カブりすぎ」らしい。訳がわからない。「え、2日しか被ってないんですけど…」と言ったら「調整するからそれだけは覚悟しといて」とだけ言われた。それでまあ毎日社員が誰かしら遅番でいないといけないののだが、「それも兼ねてちゃんと作ってる?」と言われたが、何度も言うが何故納期を守っていないしそもそもシフトすら作成していない人から怒られなければならないのか。全部門の社員との兼ね合いを気にして作っている場合ではない。慢性的な人員不足なので近隣部門との売場フォローの兼ね合いで作らざるを得ないのだ。それを分かってくれない。「上司も社員もいない僕が1人になる可哀想な日があるんだよ」と言われたので別部門のシフトを見たが(いや普通にそんな日は出てくるだろ、と思ったがまあそこは百歩譲っていいとして)、どうもそういう日は見当たらない。…一体何を見てAは言っている?挙げ句の果てには「最終調整するから、少し動くことだけは覚悟しといてね」と言われる始末。腹が立って仕方がない。「こっちも別部門との兼ね合いがあるのでもうこれ以上動かせないんです」と訴えても「うん、でも最終調整するから」の一点張り。何度も何度も言うが、何故納期を守っていない人間に勝手にシフトを調整されてギリギリにシフトを動かされなければならないのか。もう上司から提示されているシフト作成納期は過ぎているのだ。納期を守らない人間が納期を守った人間のシフトに合わせることは"当然"のことだろう。だって「納期を守っていない」のだから。皆は納期をきちんと守っているのに。何故納期を守らない人間に合わせないといけないのか。何故納期を守らない人間が偉そうにするのか。そして何故納期を守らない人間が庇われているのか。社会の理不尽とはこのことなんだろうか。昨日、Aの定時は19:30だった。私が「シフト作らないんですか?」と声をかけたのは19:00頃だった。その時点でシフト表は真っ白だった。…残業を殆どしない(おそらくしたくない)Aが30分で作成したとはどうも思えないのだが、どうなのだろうか…。事前残業申請もしたのだろうか…。これでシフトを滅茶苦茶なシフトに変えられて、またパートさんから反感を買ったら本当にどうするつもりなんだろうか。

 

 

ここまで周りから反感を買っている存在なのに、訴えても訴えてもAは変わろうとしない。むしろ上司はAを庇っている。変えようとしない。本当に訳がわからない。Aのせいでパートさんが全員辞めてしまったらどうやって責任を取るつもりなのか。ただでさえ人員不足なのに。おそらくAは自分が悪いと思っていないのだ。悪いということに気付いていないのだ。自分の何が悪いのか。それくらいの姿勢でいるのだろう。最早自分が今いる部門が嫌だから、皆から反感を買って辞めたいと思っているのだろうか、くらいの勢いで考え始めているくらいだ。ここまで周りから反感を買う行動をされるとそう思わざるを得ない。ただ、周りに何も報告しない、シフト作成も滅茶苦茶、自分の都合に合わせてシフトを作成すると言った行動は前の部門にいた時から続いてるそうだ。一応言っておく。Aは社員だ。パートをまとめなければならない存在だ。そのパートを自分から崩壊させようとする姿勢が非常に理解しがたい。私はそんなAを見て「あ、自分の中での「常識」を「常識」と捉えてはいけないな」と思った。世の中には色んな人がいる。尊敬出来る人もいれば、この人どんな人生送ってきたんだよ、どうしたらそんな人間になるんだよ、みたいな人もいる。Aは少なくとも後者に値するだろう。もし職場の人間で大運動会をする機会があって、その中にドッジボールの競技があれば、真っ先に私はAにボールを投げつけるかもしれない。「普通」の人間の概念を忘れてしまいそうで怖い。

 

もう少し自分の中で尊敬できる先輩がいたらなあ。

 

 

 

あの国民的アイドルグループについて今更ながら話したい

 

私はバンドだけでなく、ジャニーズも聴きます。

 

本当は去年の年末に話したかったのだが、タイミングが無くてなかなか話せなかった。ずっと話したいことがあった。元国民的アイドルグループ、SMAPについてだ。今更ながら話そうと思う。

 

 

母親が生粋のSMAPファンである。木村推し。母親は他のジャニーズも好きは好きだが、それほどハマらなくてずっとSMAP一筋だった。私も母親の影響でSMAPを好きになった。幼稚園の時、車内でよくCDから焼いたカセットテープを流してくれていた。特に覚えているのが「セロリ」「ダイナマイト」辺りだ。「Smap Vest」に関しては、CDを焼いて擦り切れるほど聴いた。幼馴染の家にCDを持っていって良く聴いた。当時の私はDisc1(比較的最近の曲が入ってる方)が大好きで、初期の音源が入っているDisc2はあまり好きでは無かった。歌声が若さ故に今と全く違うということもあり、何となくそれが私には受け入れられなかった。時は経ち、今ではDisc2の方が意外と名曲揃いだな、と思うくらいである。シングルで一番好きな曲は何かと言われると、私はデビュー曲の「Can't Stop!!-LOVING-」だ。何となく聴いてると大サビ辺りで泣けてくる。

 

コンサートも2005年以来、毎回参戦していた。ファンクラブに入った時期が丁度「SMAP016〜MIJ」のコンサートの終わりかけくらいだったので、少しの差でMIJコンサートに行けなかった。それが物凄く悔やまれる。なので私たちの最初のコンサートは「SAMPLE BANG!」だった。人生初コンサートで、あの時の感動は忘れない。SMAPのアルバムは持っている人なら分かると思うが、アルバムの最初に必ず「Theme of ◯◯◯(何枚目のアルバムかの数字とか)」というインストが入っている。人生初コンサートで一番最初に聴いた曲は、その「Theme of 017」だ。この曲が流れてる間に映像が流れ、いよいよ出てくるんだというワクワク感をより一層高めてくれる。

 

SMAPのコンサートのいいところは、他のジャニーズに比べてライブ時間が圧倒的に長いことだ。他のジャニーズはおそらく長くても2時間半程度だと思うが、SMAPは最低3時間はやる。長い時だと4時間半くらいする時もあった。前回の「Mr.S」の時もおそらく3時間はやったと思う。それなのにチケット代は他のジャニーズとそれほど変わらないのだ。昔は「チケット代もお手頃で長くやってくれるアイドル」で定評があった。悲しいところは、ファンの年齢層が歳を重ねるごとに上がっていっていたことだ。2005年参戦した時は所謂「キチガイファン」が沢山いた。派手な格好をしてファンアピールする若い女の子を沢山見かけた。それがいつしか若い人は嵐、関ジャニ∞Kis-My-Ft2、その他…に(おそらく)持っていかれ、気付けばマダム世代のファンばかりに。「Mr.S」の時にグッズで並んでいると、周りは殆どおば様しかいなかった。若い人を探す方が難しいくらいだった。SMAPもいつしか「おじさんアイドル」とまで呼ばれるようになり、若い人からは「もうおっさんじゃん」と批判されるようにもなってきていた。それが非常に悲しかった。確かに彼らは年齢的には「おじさん」に属する世代に突入しているとは思うが、彼らが築き上げてきたものはとてつもなく大きい。「バラエティアイドル」という概念を作り上げたのもSMAPだし、初期はなかなかヒット曲が生まれず、本当に苦労したおかげで今があるグループなのである。だから今まで「え〜SMAPとかおっさんじゃん」とか言ってきた人が、解散になった途端「寂しい」とか「悲しい」とか突然騒ぎ出すのは許せなかった。「お前ら本当に好きだったのかよ」って思ってしまう。悲しいのは悲しいかもしれないが、その悲しさも軽いものだろう。私は今でも録画してあるスマスマ最終回が見れないんだぞ。見るとどうせ泣くだろうし、なにより辛すぎて。(笑)

 

こんなことを言いながら、正直私も「ガチ勢」と呼ばれるほどSMAP愛が酷いわけではない。中学の時はその「ガチ勢」というものに属していたと言ってもいいくらいの愛はあったが、今は当時ほどは熱は無い。ただ、好きな気持ちはいつまでも変わらない。

 

 

まあそんな話はこれくらいにしておき。

私が話したかったことはSMAPが最後に出したアルバム「Smap 25years」についてだ。

 

http://smap25years.com

 

ファン投票によって選ばれた50曲がこのアルバムに集約されているのだが、正直「本当にファンが選んだのかよ」と言いたいくらいのランキングだった。まずアルバム曲を見た感想は「普通に昔のアルバム借りたら良くね?」だった。母親と収録曲について沢山の不満をぶちまけていた。まあどの曲が入っていてもこの感想になるとは思うが、ランキング曲がいかんせんベタな曲ばかりで、何だか残念だった。沢山のファンに支持されている曲があることは素晴らしいと思うし、これからも名曲として受け継がれていくだろう。でもまず私が気にくわないのが、6人時代のアルバム曲が殆ど入っていないこと。シングルなんてそれこそ「Smap Vest」借りれば一発だし、昔の曲で言うと「どうしても君がいい」「Best Friend」等入ってるものの、そんなの「裏スマ」を借りれば聴けるし、なんか「そこじゃない」感しかなかった。25周年だからこそ、昔の曲をもっと入れるべきじゃなかったのか?ってなった。昔にだっていい曲は沢山ある。知らないからこそ、そういう曲を入れて欲しかった。「Smap Vest」だって昔のシングルは8cmCDでなかなか聴けなかった人が、ようやく10cmCDで聴けるようになったキッカケになったアルバムだったと思うし、今回のアルバムにもそういうキッカケ作りのアルバムみたいなものを作って欲しかった。ファン投票だから決まってしまったものは何を言っても仕方ないのだが、大体が最近のアルバム曲やカップリング曲から引っ張ってきた曲ばかりだったし、ある程度長く聴き続けてきた身としては残念だった。まあ、何度も言うがファン投票で決まったものなので愚痴を言ったところで仕方ないのだが。

 

もっと「コア」寄りのアルバムになっていればなー、と私は思った。「なんだこんな曲知らねえ」って曲もちょくちょく入れて、「こんな曲もあるのか」ってのをもっと知って欲しかった。ここからは完全に私の独断と偏見(もう既に独断と偏見で話しているが)でチョイスするが、これは是非とも聴いて頂きたい曲が何曲かある。いかにもみたいな感じに聞こえてしまうが、決して古参アピールがしたいわけではないので悪しからず。昔にもいい曲はいっぱいあるんだよ、ってことを言いたいだけなので。。。

 

・STOP!(S map〜SMAP014)

・shiosai(S map〜SMAP014)

・idea(BIRDMAN〜SMAP013)

・君を好きになって(BIRDMAN〜SMAP013)

・Ha(La Festa)

・オイラの人生のっぺらぼ〜〜!(La Festa)

・バタフライ(SMAP011 ス)

・The Road(SMAP011 ス)

・ストレス(シングル「Peace!」カップリング曲)

・黙って俺についてこい(シングル「SHAKE」カップリング曲)

・気になる(SMAP008〜TACOMAX)

・声を聞くよりも(SMAP008〜TACOMAX)

・恋があるから世の中です(SMAP008〜TACOMAX)

・まったくもう(シングル「胸さわぎを頼むよ」カップリング曲)

・君がいない(SMAP007〜Gold Singer〜)

・My Childhood Friend 〜 鏡の中のRadio(SMAP006)

・歯が痛い(SMAP006)

・君が何かを企んでいても(SMAP005)

ギョーカイ地獄いちどはおいで(SMAP005)

真夜中のMERRY-GO-ROUND(SMAP002)

 

強いて言うならこれくらい。全部いい曲なんです、本当に。

SMAP014に関しては1曲もアルバム曲がランクインしてないことが意味が分からないし、BIRDMANだってideaは良曲だと思ったし私はこの曲に投票したのだが残念ながらランクインされずだし、悲しい。

というか、SMAP013以前のアルバム曲、1曲も入ってない…?(裏スマ曲抜きにして)うわー。それは有り得ないわ。

 

ずっと昔にプチベストアルバムみたいな形で「WOOL」というアルバムが2枚組で発売されたのだが、これがまたいいアルバムなのだ。曲のチョイスが非常に良い。昔のSMAPアルバム曲で良曲をチョイスしているという感じだ。「君が何かを企んでいても」「まったくもう」「君がいない」等がこのアルバムに収録されている。良かったら是非聴いて欲しい。

 

http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A002763/VICL-40212.html

 

「おいらの人生のっぺらぼ〜〜!」はまあタイトルから何となく想像はつくと思うが、中居君のクs((ry ソロ曲である。「La Festa」自体が5人それぞれのソロ曲しか収録されていないミニアルバムなのだが、この曲からネタ曲シリーズが始まった。そういえば「トイレットペッパーマン」も入ってないな。歌詞はかなりのネタだし歌声もある意味素晴らしい歌声だが、曲調がかなりのロックでカッコいい。このソロ曲は割と有名だと思う。MIJのDisc2に入っているので聴いたことない人は是非。中居君のソロ曲でもう一つ、「My Childhood Friend 〜 鏡の中のRadio」。中居君初のソロ曲で歌の上手さは想像通りだが、曲はバラードで良曲である。

 

 

話し始めたら止まらなくなるので、とりあえずこれくらいに。

勿論最近の曲もいい曲は多いのだが(ちなみに私の「最近」の基準は「SMAP012〜Drink! Smap!」以降)、それより昔にもいい曲があるから聴いて欲しいという、ただそれだけです。

私もまだまだスマヲタ精神が残ってるのかしら。これだけ話せるということは。

 

 

以上、そこそこのSMAPバカの戯言でした。

みんなもっとSMAP聴こう。

 

 

 

おばあちゃん

 

実家にいます。今年初帰省。ようやく帰れた、と言いたい。前回のブログにて私はとてつもなく病んでいるということを無駄にアピールしてしまったクソメンヘラ野郎ですけれども、ここ最近本当に心が荒れ果てていました。自分でも引くくらい。実家に帰ってきて、少し心が穏やかになったような気がします。3月に入って初めての休みなので余計に。やっとゆっくり出来た…。

 

 

実家に帰って、母親に録画したSmaSTATION!!を見せられました。内容は泣けるドラえもんの映画特集。「織田信成が面白すぎるから見て」と言われるがままに見たのですが、号泣しまくっていた織田信成の気持ちがよく分かりました。

 

映画ドラえもんシリーズは、めちゃくちゃ泣ける。

 

その中でも特に泣いたのが「おばあちゃんの思い出」。

 

自分が大学時代、4年間祖父母の家に住まわせてもらっていたことを色々思い出して映像を見て思いっきり泣きました。どんなに酷いことをしたり、言ったりしてもいつも私の味方でいてくれたおばあちゃん。私も何回か「酷いこと言ってごめん」とおばあちゃんに謝ったのだが、「そんなの全然気にしてないよ。大丈夫、あんたが優しいのは分かってるから」といつも言ってくれたおばあちゃん。何を言っても優しかったおばあちゃん。本当に強い精神を持ってるな、と心の底から尊敬するのに、なかなかそれを態度に表せない自分の不甲斐なさ。色んなことがフラッシュバックして、涙が止まりませんでした。

 

 

私は小さい時から母方の祖父母が大好きで、実家が滋賀で祖父母の家は京都にあり、割と近いいうこともあって、暇さえあれば家に遊びに行ってました。ボードゲームやトランプなど、色んなことをして遊んでくれました。京都なので色んなところへ連れてってくれました。幼稚園や小学校の時は、八瀬のプールに連れて行ってくれたり、宝ヶ池に出かけたりもしました。家では私たちの遊びに何とか着いていこうと、おばあちゃんが頑張ってスーパーファミコン(マリオ)をやってくれて、下手なんだけど、私たちをいつも楽しませようとしてくれてました。たまに泊まりに行って、帰る時間になって、お別れの時は別れるのが嫌でいつも電車でピーピー泣いてました。

 

時は経ち、私も大学生になり、大学が京都にあるということで家に住まわせてもらうことになりました。祖父母は私が孫ということもあって心配で仕方ないのか、過保護に相当するくらいの愛情を受けていました。ご飯も過剰なくらい用意してくれたり、支度も全部してくれる。昔はそれが嬉しかったのに、今ではそれが「重い」としか思わなくなり、いつしかその優しさが辛くなってくるようになりました。辛くなって、酷いこともしばしば言ってしまうこともありました。受け入れてあげなきゃ、優しくしてあげなきゃ、とは思うものの、あまりの愛情の大きさに家に帰りたくないと思うことも増えてきました。夜遅くに帰ると迷惑をかけてしまうのは分かっているのに、なるべく接したくないから遅くに帰ってしてしまって、おじいちゃんに怒られることも度々ありました。それでもおばあちゃんは私がどれだけ遅くに帰ってきても、いつも起きて待っていて、私の支度をしてくれていました。「寝てていいのに」と何度も言うものの、「いいの、やりたいから」とだけ言っていつも支度をしてくれていました。

 

あまりの愛情の重さに母親に何度か「実家から通おうかな」とも相談しました。母親は「別にそれでもいいけどなるべくそばに居て様子見てあげて、あんたがいるから元気でやってけてると思うし」と言いました。本当は好きなのに、愛情の重さのせいでぶっきらぼうになってしまう私の態度に不甲斐なさを感じました。それでも結局私は4年間、祖父母の家に住まわせて貰いました。

 

大学を卒業して就職するとなった時に、就職の関係で私は埼玉に引っ越さなければならなかったので、必然的に祖父母の家を出なければなりませんでした。家にあった荷物を徐々に梱包していき、最後の日には当然ながらいつも居た部屋がもぬけの殻になりました。その光景を見て「ここの生活も終わってしまうんだな」と思い、泣けてきました。家を出る前の日に3人で記念撮影をしました。ただただ「ありがとう」という言葉しか言えませんでした。どれだけお世話になったか、計り知れないほどでした。

 

おばあちゃんはいつも言ってました。

「戦争に比べたら、あんたのことなんてなーんも気にならんよ。だから大丈夫。気にすることなんてなーんもない」

祖父母は戦争経験者です。第二次世界大戦時のお話を沢山聞きました。幸いおばあちゃんは戦争の影響をあまり受けていない状況にいたそうですが、おじいちゃんは少し戦争に関わりがあったそうです。でも、2人の心には戦争はやはりとてつもない衝撃と絶望を与えたようで、「あの頃のことを思い出すと今あることなんて全部ちっぽけだよ。あんたは幸せ者だよ」それが口癖なくらいでした。やはり、戦争を生き抜いてきた人は相当な精神の強さを持っていて、それなのに今クヨクヨ悩んでる自分が申し訳なくなってきます。

 

 

私には兄がいます。去年結婚しました。

祖父母は既に80を超えていて、体も昔のように動かなくなってきているのに、おじいちゃんは体を悪くして結婚式には出席出来なかったのですが、おばあちゃんはわざわざ結婚式に来てくれました。

結婚式の披露宴の際、お色直しのために隣について欲しい人をお互いに呼んで付き添ってもらっていたのですが、奥様の方は妹さんを呼んで会場を出られました。ウチの兄は誰を呼ぶのか…頼むから私は呼ばないでくれ…と祈っていたのですが(笑)、兄が呼んだのは、おばあちゃんでした。

おばあちゃんは初め状況を分かっていなくて普通に食事を楽しんでいたのですが、自分が呼ばれたことに気付いてからは、おばあちゃんは涙が止まっていませんでした。「小さい時からいつも遊んでくれて、本当にお世話になりました。遠くからわざわざ来てくれたこともあって、今回はぜひ付き添って欲しいと思っておばあちゃんを選びました。おばあちゃんありがとう」と兄が言って、私も泣きました。正直、披露宴はそこが一番泣けました。(笑)

 

私も祖父母が生きてる間に結婚出来たらなあ…せめてもの親孝行をしてあげたいなぁ…と、兄の姿を見て物凄く思いました。

 

祖父母の話をすると本当に色んなことが思い出されます。

 

そんな私は明日、祖父母の家に行ってきます。

「私は元気だよ」そう伝えないといけないな、と思いました。

 

私の「おばあちゃんの思い出」話でした。

 

 

 

「当たり前」とは

 

「当たり前」とは何だろうか。

 

いつもそこにいる、そこにあるせいで、そこにいる、そこにある幸せ、有り難みを忘れてはいないだろうか。

 

いつも近くに存在したら、特別な感情はどうしても湧きにくくなるものだ。「いつでもそこにいる」その安心感、満足感があるからだ。

 

例えば、音楽DVDを買うとする。買うまでは「早く欲しい」「早く観たい」そんな感情ばかりが湧いてワクワクするが、いざ買ってしまうと「いつでも観られる」そんな安心感に襲われてしまう。そしてしばらく観るのを放置してしまう。本当は「もし明日にでも震災や火事などが発生してDVDはおろか家丸ごと潰れてしまったらどうする?」というところまで考えなければならないのだろう。でもそんなことは普段の生活では考えない。全ては「なくなってしまってから」事の重大さに気付くものだ。「ああ、あの時もっと重宝していればよかった」「もっと見ておけばよかった」そんな後悔が湧くのだ。

 

それが「当たり前」という概念なのだろう。

「あって当たり前」「いて当たり前」人間なんて所詮そんなもんだ。

 

 

 

同期が3/1付で異動になった。

私の店舗からは同期がとうとういなくなった。

私の中の「いて当たり前」が、消えた。

 

 

新入社員で今の店舗に配属されたのは、全部で8人。男5人、女3人。うち4人は既に辞めて、1人は別店舗に異動になっていた。残ったのは私含め3人だった。男2人と、私。3人になってから、ディズニーにも行った。

 

その男2人が別店舗に異動になった。それが悲しくて寂しくて、私には耐えられない事実だった。職業柄、全国転勤はつきものなのだが、まさか同期が一気に2人も同時期に飛ばされるとは思ってもいなかった。しかも同じ店舗に。

 

男2人のうちの1人と、引越し前にご飯に行った。「なんか最近病んでるらしいやん、どうしたん?」と聞かれたが、私は「お前らがいなくなるから寂しすぎて病んでるんだ馬鹿」とは決して言わず、「洗濯物が飛んでってしまったのとイヤホンを無くしたことに病んでる」とだけ言った。嘘だと分かっていたのか「本当にそれだけなの?」と言われたけど、私は「…うん、それだけ」と答えた。「そっか…ならいいけど」と言われて終わった。「でも、俺たちがいなくなって寂しいんだろー?(笑)」と馬鹿にされたような口調で言われたので、ますます「寂しいわ」と言いづらくなった。そこで意地を張った私。「仕方ないじゃん、仕事だし」そう答えた。可愛くないな、私。

 

帰り際、私は彼にUSBを渡した。引越してしまうから彼にしばらく会えないのは分かっていたけど。

ワンオクが好きだったので、「これにワンオクの音源を入れて渡して欲しい」と伝えた。「いいけど、俺んち来たら渡せるよ」と言われたので「必ず行くからそれまでに入れといて」と告げた。そして別れた。会えないのは分かっていたのに、渡した。

 

 

引越しと言っても、彼らは神奈川に転勤になったので、会えない距離ではないが、すぐに行ける距離でもない。電車で2時間。「2時間我慢すれば会える」と考えるか、「2時間電車に乗らないと会えない」と考えるか。

 

 

彼が引越した次の日、私は結局彼の家に行った。寂しくなって行った。もう1人の同期もいて、その両親も引越しの手伝いに来てくれていたので、晩御飯をご両親の方と私たちの5人で食べた。普通に楽しかった。「また遊びにおいで」そう言われた。

 

 

彼の家に行って例のUSBを発見したので「入れた?」と聞いた。案の定「入れてない」と言われた。「今日はまだ引越しでバタバタしてたから入れられなかったけど、また次来た時に入れとくよ、だからまたウチに来てくれ」そう言われた。お前が来いよ、とも思ったけど、「分かった、また来るわ」と言って別れた。私は決して「送ってくれればいいのに」とは言わなかった。言いたくなかった。向こうも「何ならそっちの家に送るよ」とも言わなかった。ただ「ウチにまた来たらいいじゃん」とだけ言った。

 

 

 

昨日、仕事中に彼から電話がかかってきた。本来は仕事の用事で電話が来たのだが、いつの間にか他愛もない話で盛り上がっていた。気付けば30分くらい、店が閉店してから話してしまっていた。初めは仕事とか関係ないくらい電話が嬉しくて話していたが、段々話していて悲しくなった。彼はもう新しい生活を始めている。ここにいた思い出はどんどん消えて、新しい思い出が作られていっているのだ。そしてこれからも思い出が作られていくのだ。「楽しいよ、こっちの生活は。同期もいるし、というか同期しかいないし、今日同期の子とめっちゃ喋ったし、店の人もいい人だし、やっていけそうだわ。そういえば○○さん(パートさん)いる?いたら話したいんだけど」そんなことを電話越しに言われた。彼の中ではもう新しい生活が始まっているのだ。私がそこに介入する隙もない。古い思い出はどんどん色褪せていくのと同じで、ここの店舗にいた思い出もどんどん消えていくのだ。そして彼が話したい相手は私ではない。ここの店でお世話になった人なのだ。人間の記憶なんて所詮そんなもんだ。彼らは同じ新しい店舗に異動になった同期と沢山飲みに行ったり遊びに行ったりするのだろう。私にはもうそんなことをする同期はいない。仕事帰りに仕事の愚痴を言える人もいない。私が異動になった時に、誰が送別会を主催してくれるのだろう。誰もいない。彼らの送別会は当然同期の私が主催した。でももう仲の良い先輩や同期がいなくなった今、私が異動したところで誰も悲しむ人はいない。そんなことを考えていたら、とてつもない虚しさに襲われた。私だけが取り残された結果となった。新しい生活に今のところ満足している彼らに比べ、毎日虚無感に襲われ、悲しみしか感じない日々を送る私。自分が哀れなのだ、ということが決して言いたいわけではない。哀れ自慢をしたいわけでもない。いつかはこうなるとは分かっていたけど、いざなってみると「当たり前」の大切さに気付かされる。彼らのことを忘れようか、忘れないか、とても迷っている。同期としては忘れたくないが、思い出すと辛くなってしまう。私も「新しい生活」を送りたい。

 

 

そこに追加ダメージを食らわせられたかのようにやってきた部門異動。彼らの転勤に伴い、私は売場に部門異動になった。今まで店舗の中で所謂「特殊」な部門しか経験していなかった私が、ようやく皆がやっているようなスタンダードな部門に配属されたという感じだ。みんなの「当たり前じゃなかった」ことを先に経験して、「当たり前」のことを後から経験する。当然、周りにとったら「当たり前」だから私が分からなくて質問すると「何でそんなんも分からないの」という姿勢で返答してくる。それがまた私には辛いことである。以前、店長との面談でも「私はまだ皆と同じような経験を全くしたことがありません。もうすぐ3年目に入るのにこのままの状態だと新入社員並みの知識で尚且つ別店舗に異動になった時に非常に不安です」そんな悩みは言っていた。それをある程度考慮してくれたのかは分からないが、そのようやく「当たり前」を経験できるという意味では非常に安心なのだが、「それくらい分かっとけよ」という周りの視線もあるのでプレッシャーである。とにかく辛くて仕方がない。

 

 

私と彼を繋いでいるUSBをどうしようか。「寂しくなったら電話してきてもいいし、家来てくれてもいいよ、話なら聞いてあげるから」そう言われた。でも、新しい生活を始める彼の邪魔をしても仕方がない。今までは同じ店舗だったので同じ悩みも言えていたが、そのうちそんな愚痴も吐けなくなるし、向こうも向こうでこっちの店の話を聞きたいとも思わなくなるだろう。また家行く、とは言ったが、行くかどうかも迷っている。このまま存在を消すか。忘れるか。でも同期だから忘れたくはないか。向こうの「当たり前」に介入すべきなのか。そんなことを考えていたら、夜も眠れなくなって来た。

 

 

今もまたこうやって誰にも悩みを吐けないので、ここに綴っている。誰に聞いて欲しいわけでもない。私が綴りたいから綴っているだけ。

 

 

1人は、つらい。

「当たり前」も、つらい。

 

 

 

 

久しぶりにNICO Touches the Wallsのライブに行ってきた

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NICO Touches the Wallsのライブに先日行ってきた。

 

いつから私はNICO Touhes the Wallsのライブに行っていなかったんだろうか?

そんなことを思いながら、その日一日仕事をしていた。

 

2012年。

私が本格的にNICOを好きになった年でもある。その年、特にリリースがあったわけではないが、どの会場でもセットリストが全く同じになることはないツアーが遂行された。「ALGORHYTMIQUE」である。驚いたことに、私はこの年からNICOをライブハウスで見ていなかったのだ。この年に、地元滋賀県にある「U★STONE」そこにNICOがやってきてライブをしてくれた。地元に来てくれるということもあり、当時の私はとてつもなく喜んでいた記憶がある「anytime,anywhere」「サドンデスゲーム」をやってくれたことが非常に印象的だった。あの時の衝撃は忘れない。とにかく、その公演以来5年ぶりのライブハウスということに非常に驚いた。2012年以降フェスで見ることはあっても、なかなかワンマンに行く機会もなく、今日に至るという感じだった。そもそもNICOのワンマンライブに行くこと自体4年ぶりみたいだ。自分の中の最後のNICOワンマンがどうやら2013年のShout to the Wallsツアーらしい。余程自分が別バンドに流されてしまったかが分かってしまう期間の空きようですね。(笑) TシャツもALGORHYTMIQUEのものしか持っていませんでした。

 

 

18:50くらいに仕事の片づけを終え、あとは速攻で着替えて行くのみ、という状態にまでなり、一人でソワソワしながら定時になるのを待っていました。そして仕事を終え、全力疾走。19:10過ぎに会場に着きました。案の定、着いた頃にはライブは既に始まっていました。自分が割と好きで聴きたいと思っていた曲が中から流れてきて、早く行きたいと思いながらもロッカーに荷物を詰め込まなきゃいけないという苛立ちも少しあり、会場へ。ドアを開けた瞬間、熱唱する光村龍哉の姿が見えた。演奏する3人の姿もあった。興奮したと同時に、少し懐かしい気持ちも出てきた。「昔はよくNICOのライブに行ってたなあ。NICOのおかげで色んな友達が出来たんだよなあ」としみじみ思った。

 

 

マシ・マシを聴いて好きになって来た人には今日のライブは厳しいかもしれませんが、どうぞよろしく」

そんなトークから始まった。それを聞いて、そうか、そんな人が増えているのか、と単純に思った。時の流れを感じた。私の知ってるNICO Touches the Wallsの代表曲は「手をたたけ」とばかり思っていたが、最近はもうそうじゃないんだな、と。「ストラト」「マシ・マシ」その辺りがベターな入り口なんだなあ、と思った。でも、彼らは以前と何も変わっていなかった。変わってしまったのは私の心だけなのかもしれない。彼らがバンドで演奏する姿はとても美しく、カッコよかった。そこにあったのは彼らだけが出せる音だけだった。ライブハウスでしか出せない、彼らだけのバンドの音がそこにあった。ツアーは今後もまだまだ続くのでネタバレは敢えてしないが、とにかく会場に入った瞬間から彼らはがむしゃらに演奏していた。その姿を見て私は本当に、何とも言えないくらいの興奮を覚えた。CDで聴くと正直あれ、と思っていた曲もライブで聴くと途端にカッコ良くなる、あの現象は一体何なんだろうか。何か名前をつけたいくらいである。私自身が久しぶりのNICOのライブということもあって、全ての曲を久しぶりに聴いた。(厳密に言うと、NICOを見るのは去年のARABAKI ROCK FES以来なのだが)「あの曲をまさかやるとは」と思った曲や、「あの曲はもうやらなくなっちゃったんだな」と思う曲があったり、「あの曲聴きたかったなあ」と思う曲も沢山あった。会場の雰囲気は、正直皆大人しいなあ、と思ってしまった。私がここ最近モッシュのよく起こるライブにしか行ってなかった所為もあるかもしれないが、「この曲は暴れたかったなあ」とか「もっと踊り狂いたかったなあ」とか、そんなことを思う曲も何曲かあったものの、如何せん「オンナノコ」が多いので、暴れることを酷く嫌う人が沢山いるであろう。そこはぐっと抑えて、軽く踊る程度に楽しんだ。

 

ツアー初日の構成の不安定感がまた良かった。ALGORHYTMIQUEの時も、ツアー初日でなんばHatchに行った記憶がある。その時も「この先どうなるんでしょうね」と不安半分楽しみ半分みたいな雰囲気だったが、最後に「行ってきます」と一言言って「N極とN極」を演って終わった。その時と同じく、今回も「行ってきます」と彼らは言った。何の曲をやったかは言わないが(見たい人はセットリストのサイトでも見て下さい)。ただひとつ寂しいな、と思った点が、光村さんが一切ジャズマスターを持って演奏しなくなってしまったことだ。以前はずーっとジャズマスターを使って演奏していた。実際、ジャズマスターから出る音が私は好きだ。この間もPeople In The Box9mm Parabellum Bulletの対バンライブに行ってきたのだが、ピープルのギターの人がジャズマスターを使っていて、やっぱりそこから出る絶妙な重低音が私は大好きだった。今ではもうそれも持たなくなり、テレキャスフェンダーなどを使って演奏していた。それが少し寂しい感じがした。あのギターを持った光村龍哉という人間が本当に好きだったのになあ。いつから持たなくなってしまったのかは私は分からない。ただ、この空白の期間に違うギターに変えられたことは紛れもない事実なのである。いつかまた持って演奏してくれるだろうか。

 

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参考までに。

 

特にMCが多かったわけでもなく、ライブとしてはあっさりとした終わり方だったが、とてもいいライブだった。やっぱりバンドはライブハウスで見るのが一番だな、と改めて感じた。あの我武者羅感、音のバキバキ感はライブハウスでしか出せない。ホールだと音が綺麗に聞こえて、それはそれでいいのだが、やっぱりあのバキバキ感があるのがロックバンドのいいところだと思う。

 

次に行くのはツアー最終日の京都。ALGORHYTMIQUEの時も、ツアー初日が大阪で、ツアー最終日が大阪という素晴らしい日程だったが、今回もツアーは埼玉から始まり京都で終わるという、また私にとっては素晴らしい日程だ。京都でツアーを通して成長した姿を見られることを期待しています。今からどんな姿で京都で演奏してくれるかが楽しみです。どんな姿で化けて出てくるのか?どんな風に観客をゾクゾク、ワクワクさせてくれるのか?それが楽しみで仕方ない。とにかく、無事に完走出来ることを祈ってます。久しぶりのライブ、最高でした。

 

 

 

 

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パソコンを新しくしました。

それでちょっと触ってみたくなって、今このブログを綴っています。

Windows10仕様にまだ慣れませんが、これから徐々に慣れていこうと思います。

 

 

 

今日、今年初のライブハウスでのライブに参戦してきました。

club Lizard YOKOHAMA 15th Anniversary!!~いままでありがとう~」

9mm Parabellum Bulletと、my name is...と、TEXASCOMMANDOの3マンライブ。

正直9mmしか知らなかったので、あとの2バンドは誰やねん状態でした。

ただ行ってみて分かったのが、この3バンド、しっかりとつながりのあるバンドだったみたいです。

 

1組目に出てきたmy name is...は9mmと同期で、駆け出しのころは一緒にライブもやったりしていたそう。2組目のTEXASCOMMANDOはドラムに現jamming O.P.ドラムのチャックさんがいたり。ギターの方は滝モデルのギターを使用しているそうな。そんなつながりが色々あって、身内ライブのようで自由にライブをしてた雰囲気があって凄く良かったです。

 

今回のライブのタイトルにもあるように、横浜club Lizardが老朽化の為3月いっぱいで閉店してしまうそうです。それに伴って今回の対バンライブが開催されました。私自身はリザードに来るのは初めてでした。有名なライブハウスだった為名前は知っていたものの、なかなか行く機会がなくようやく今日行くことが出来たというわけです。つまり、最初で最後のクラブリザード。最後に行けてよかったです。ライブハウスも移り変わりが激しいですね。SHIBUYA AXやZepp Fukuokaが無くなったり、そう思えばZepp Osaka BaysideやEX THEATER ROPPONGIなどの新しいライブハウスが出来たりして、結構新陳代謝の激しい商売だな、とつくづく思います。

 

リザードの中は本当に暑かったです。磔磔のように空調があまり見られなかったように思います。今日のライブはチケットがソールドアウトしていなかったこともあり、空間にゆとりがありました。それくらいの方が私は見やすいので好きなんですけどね。

 

 

転換に関しては、my name is...からTEXASCOMMANDOに変わる時は15分ほどしかかかっていなかったのに、そのあとの9mmの準備時間は30分以上。楽器やら何やらが凝っているのもあってそれくらい時間がかかってしまうのだろうか、とも思ったけども、さすがに最後の方はちょっと遅いだろ、ってちょっと思ってしまいました。ごめんなさい。(笑)

 

 

今年初めて見た9mmは、いい意味で相変わらずでした。

(teenage)disaster始まりで序盤から飛ばしてきて、いつものナンバー(DiscommunicationやCold Edgeなど)でさらにぶちかましてきて、「やっぱり9mmは変わらないね」って、いい意味で思いました。滝モデルのギターを使っている人が途中出てきて、Lost!!と反逆のマーチを演奏していました。なんかこないだの9mmツアーの広島公演でサポートしていたそうな?さすが滝モデルのギター。音に重厚感がたっぷり出ていました。素晴らしかったです。勿論、武田さんの演奏も素晴らしい演奏でした。

 

最後の方で(新しい光辺りかな?)やたら隣のスペースでサークル作ってるしサークルモッシュでもこれからするのか?と思って見ていたら1人やたらと暴れている髪の毛もじゃもじゃ野郎が…。「なんだあいつ調子乗ってんのか」と最初思ったのも束の間。その人物はなんとあの滝さんでした。滝さんがやたらと暴れまわっている。客の10倍は暴れていた。とにかく一心不乱に暴れていた。こっちにきてぶつかってもきた。私はそれで楽しくなっちゃって、モッシュに更に参加してしまいました。最近体力が衰えてきたと思っていたのにまだモッシュする体力はあるのか、とちょっと感動しました。もうヘロヘロになったものの、本編最後のtalking machineでは「デザートは別腹」感覚で「トーキンは別腹」という感じで更に元気が出てきてモッシュしていました。もうそれが楽しくて仕方なかった。何もかもを忘れてとにかく「楽しい」と心の底から久々に思えた。アンコールのPunishmentに関してはステージに上がってコーラスしたりダイブしたりと、とにかく滝さんが自由すぎて笑ってしまいました。客席にいた時も「9mmかっこいいっすよね~!!」とか話しかけられたり、「卓郎~~!!!」と叫んだり、「アンチモッシュなんで…すみません…」とかペコペコした直後に大暴れしたり…と、本当に自由な人でした。あれは後ろで見ていた人の特権だったと思います。前の方で見ていたら確実に最後のPunishmentのダイブとコーラスしか見られなかったと思うので。とにかく今日のライブはそんなこともあり、楽しかったのレベルを超えた「楽しい」で終わりました。

 

 

2月に入って私の気分はいろいろあってどん底に陥っていました。周りからも「あいつダメすぎるだろ…」と思われているくらいにはどん底に陥っていたと思います。正直ちょっとやそっとじゃ立ち直れるような問題でもありません。ただそれを、一瞬でも、少しでも、忘れさせてくれたライブという存在は本当に大きなものだと思っています。

 

 

結婚するなら9mmみたいな人がいい、とずっと思っています。おそらく私は9mmと本当に相性がいいのかもしれません。飽き性で、すぐにちょっと変わったことをやろうとするバンドがいると「変わってしまったな」と冷めた感情を持ってしまいがちな私が、9mmに関しては本当に「何をやってもずっと好きでいる」という感情しか湧いてきません。それはおそらくバンドとしての成長、変化はしていってはいるものの、中心の軸や芯は昔からずっと変わっていないように見えるところや、その軸を貫き通そうとしている姿勢が私には見えるので、そこが非常に魅力的に思えるのだと思う。とにかく「カオス」をテーマにずっと動いていたと思われますが、それが本当に私の心とマッチしたのだと思う。思う、思うとうるさいですが、結局のところ9mmが好きなんですね、私は。ただそれだけです。

 

 

また3日後のライブも行くので、それも期待しています。

ありがとうございました。最高でした。

 

 

 

 

私は「音楽」が好きだ

先日、一枚の写真がアップされた。



NICO Touches the Wallsの光村龍哉氏と9mm Parabellum Bulletの菅原卓郎氏のツーショット写真。


これが私にとってここ最近で一番の衝撃を受けた。




私は、音楽が好きだ。バンドが好きだ。

ライブが好きだ。

そんな想いがあの写真を見て、一気に湧き上がってきた。

社会人になって、仕事に心が侵食されて楽しみなことを考えられなくなるくらいいっぱいいっぱいになってから、「音楽なんてクソくらえ」「ライブなんて一時的な楽しみでしかないから、後の現実のことを考えたら行く気も失せてきた」そんな考えが私の心の中の大半を占めるようになってきて、別の楽しみを探すようになっていた。いつしか音楽から"逃げる"ようになっていた。


勿論、働き始めてからもライブは行っていた。しかしライブに行った後の現実、絶望感、悲しみがとてつもなく襲ってきて、最近はそれに耐えきれなくなっていた。私はいつしか「音楽」そのものに冷めた感情を持つようになってしまっていた。でもあの写真を見て、私はやっぱり音楽が好きなんだ、バンドが好きなんだ、改めてそう思えた。私の中で結構な「革命」が起きたように思う。大袈裟な言い方かもしれないが。



NICO Touches the Wallsと9mm Parabellum Bulletの対バンなんておそらく2007年の列伝ツアー以来ほぼ無いと思う。少なくとも私がNICOと9mmを好きになってからは一度もない。フェスで同じ日に出るということは何度かあったものの、「対バン」という形ではない。まあそもそも同じバンドとは言え曲のジャンルが違うためそんなに共演は無いのかなあ、くらいに思っていた。


だからこそ、この10年ぶりくらいの交流には心が舞い上がった。プライベートでの交流はあったかもしれないが、バンドとして公の場で交流する姿を見せたのは本当に嬉しいことだ。


NICOと9mm両方好きな人が世間にどれくらいいるのかは分からないが、私はいつまでも対バンを願っている。少なくとも3〜4年は対バンして欲しいと言い続けてきた。それが、もしかしたら近い将来叶うかもしれないというところまで来ていると思うと黙っていられない。


この写真がアップされてから自分の中で「音楽」の存在意義って何だろう?と考えるようになった。「結局音楽はBGM」とどこかのバンドが謳ったものだが、最近の私はそういう考えを持つようになっていた。ただのBGMにしか過ぎない、極端に言えば空虚な存在でしかない、そこまで思うようになっていた。


しかし今の携帯の写真を見返してみると、ライブで楽しんでいる写真ばかりで、私にとってライブという存在は本当に大きな存在だったんだなあ、と改めて思った。学生時代、狂ったようにライブに行った。日本全国、無い金を捻出して飛び回った。その結果、日本全国に色んな友達ができた。今まで友達が少なかった私にとって、それは本当に嬉しいことで、初めて「自分の居場所」というものが確立されたように思えた。リアルな世界での息苦しさ、辛さ、そんなものがあった中でのこのライブでの出会いだったので、私は本当に嬉しかった。そう思うとNICO Touches the Wallsに関しては本当に重要な存在だ。所謂「ニコクラ」と呼ぶ友達が出来た。たくさん出来た。今でもライブ以外でも遊びに行ったり、何かしらしたりして交流を取っていることが本当に嬉しい。しかし最近はそれすらも自分で壊そうとしていた。「ライブなんて」という考えを持っていた私が本当に悲しい、そう思った。人を大切に出来ない自分が本当に虚しくなった。過去の写真を見て、今では交流が少なくなってしまった子も「今はどうしてるかな」「元気にしてるかな」そんなことをたまに思ったりもする。私は何をやっていたんだろう。何を考えていたんだろう。そんな冷め切った感情さえも、あの写真が壊してくれた。私の中の「音楽が好き」という感情を再び目覚めさせてくれた。音楽が好きで何が悪い。音楽はどんな時でも自分に寄り添ってくれるものだ。嬉しい時、悲しい時、寂しい時、楽しい時、どんな時でもそこにいる。音楽だけは、何も言わず自分に寄り添ってくれる。自分でもキツイしめんどくさい性格だとは思っていて、だからこそ友達が出来にくいんだと自覚している。でもそんな私にいつも寄り添ってくれるのが音楽。私が独りになった時も音楽だけはいつもいてくれる。その音楽のジャンルは何でもいい。楽しい時にはアイドルを聴いてもいい。悲しい時にはバラードを聴いてもいい。嬉しい時にはワクワクする音楽を聴いてもいい。ジャンルなんて何でもいい。「音楽が好き」それだけでいいじゃないか。私は「音楽」を通じて色んな人と出会った。正確に言うと、出会うことが出来た。それほどまでに大きな存在を、私は消そうとしていた。私は馬鹿だった。やっぱりライブにも行きたい。楽しみたい。こんな捻くれ者な私でも友達でいてくれる人も少なからずいる。それがどれだけ幸せなことか、分かってなさすぎた。



とにかくそんな感情が湧いてきてから、私は再びバンドのライブのチケットを買った。やっぱり生で音を感じたい。NICO Touches the Wallsと9mm Parabellum Bulletは私の中で本当に大きな影響を与えてくれたバンドなので、ライブに行きたい。会場に友達がいなくたっていいじゃないか。1人でライブに参戦したっていいじゃないか。それの何が悪い。私は生で音が聴きたいだけなのだ。そこでしか鳴らせない音に触れたいだけなのだ。



そんな事を思いながら、NICO Touches the Wallsを好きになったきっかけの曲「手をたたけ」を聴きながら、家に帰ろうと思う。好きになったきっかけの曲ほどに印象深い曲はやっぱり無いと思う。



私はやっぱり、音楽が好きだ。



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